~ Never say never ~3






「日向さん。寝るなら、ちゃんと自分のベッドで寝よう?」
「・・・ん~」

日向がうつらうつらとしていたのは、若島津のベッドの上だった。今夜は就寝の準備を若島津よりも先に終えたため、若島津のベッドに寝転がって電気を消すのを待っているうちにうたた寝してしまったらしい。

「あー・・・。悪い。移る」

眠ってしまうとこうしていつも起こされるのに、それでも日向は若島津のベッドが空いていると、若島津のベッドに寝転がる。若島津も一応は「自分のベッドで寝れば、起こされないで済むんだよ」と言っているが、それでも日向は若島津のベッドに寝る。

「若島津の匂いがする」と言ってシーツを嗅がれるのはどうかと思うし、色々とアブナイ気がするが、現実的な問題は日向の睡眠が途中で途切れるという点に限られるため、結局は日向の好きにさせていた。
それに日向が自分のベッドに残していく香りを楽しんでいるのは、若島津も同じだった。出来うるなら、日向の身体を抱きしめて直接その香りを楽しみたいところだ。その機会もたまにある。それが単純に嬉しいかというと、それだけではないところが微妙ではあったが。

「・・・ねむい」
「目をこすらないで」

子供のように手の甲で目をゴシゴシとこする日向の手を若島津は取った。

「今日はいつもより疲れてる?最近は寝ちゃうなんて、無かったのに」
「今日は面倒なことがあったから。・・・なんか、いつも考えないようなこと考えた」
「ああ、香坂のこと・・・?」
「んー・・。いや、それだけじゃねえけど」
「ないけど?」

若島津に先を促されて、日向は一旦押し黙った。昼間に香坂が口にした一言が、実はずっと引っかかっている。

「俺には分からないって言った。あいつ。・・・俺が誰も妬んだことがないって、本当にそう思ってんのかな」
「・・・・」

自分を誰かと比べて、その誰かの才能を妬んで羨んで、そんなことをしてもどうなる訳でもなくて、自分の度量の無さを思い知らされて自己嫌悪だけが残る。

この2年間にどれだけそんなことを繰り返してきたか。

日向は聖人じゃない。ふとした時に、あの男の顔が浮かんでくる。自分には敵わないと嘲笑いながら、それでも刃向かってこいと言い放った男。「サッカーの申し子」と讃えられ、神に愛された才を嫌というほど見せつけて、日向を這いつくばらせた男。あの男が憎くて憎くて、そんな自分を持て余して・・・・・日向の方こそが、そんな気持ちが分かるのかと問いたかった。

なのに、他人から見れば「そんな気持ちは分かる筈がない」らしい。

「分からないと思っているんじゃなくて、分からないであって欲しい、って思ってるんじゃないでしょうかね」
「・・・あんな風に言いながら?」
「あんな風に言いながら。そんなこと理解できる筈もないくらい、強い日向さんでいて欲しいと思っているんですよ。本当のところはね」
「弱い俺は許されない?」
「あいつらにはね。強い先輩であって欲しい。そういう人を追いかけていたいんです。後輩としては当たり前でしょう?」
「・・・めんどくせえな」

どんなに羨んだところで、欲したところで、他人のものは他人のものだ。自分は自分の武器を増やしていくしかない。
残念ながら、今の自分は大空翼にとってライバルですらないだろう、と日向は思う。その名のとおり背中に翼が生えているかのように軽やかに壁を越えていく男は、日向がその下で泥にまみれて足掻いているのを見たいのだと言う。あの、悪意の欠片も匂わせないような天真爛漫な笑顔で。

この2年間、翼と対峙する度、言葉を交わす度に、日向の自尊心など簡単に踏みにじられ、微塵に砕かれてきた。


それでも日向はそのことを隠して、前に進んでいくしかない。誰もが三度目の正直と言わんばかりに、今度こそと勝利を望み、期待し、日向を信じている。学園も、仲間も、後輩も。家族だって。
途中で投げ出すことも逃げることも、日向には有り得ない。できるだけの準備をして、最高の布陣を敷いて臨むしかない。

日向は若島津のベッドの端に座って、前に立つ若島津の腰に抱きつくように腕を回した。

「・・・俺は諦めない。絶対諦めないから」
「うん。・・・大丈夫。俺も諦めさせない」

日向が腕にギュ、と力を込める。若島津も日向の頭を抱えて、自分の胸の中に抱き込んだ。
今でこそこうして落ち着いている日向だが、去年翼に負けたばかりの頃は、夜中にうなされることもあったのだ。どんなに努力しても無駄なのかと、若島津の前で泣き喚いたこともある。

「若島津」
「ん?・・・噛む?噛んで欲しい?」
「ん。強く」
「痛いのがいい?」
「痛くしていいから・・・痛ッ、・・・大丈夫、だから・・、ちゃんと・・っ」


去年の夏の決勝戦の後、日向の耳から血が流れているのを最初に見つけたのは若島津だった。試合の中で接触でもしたのかと思って日向に問いただすと「翼にかじられた」との答えに驚いた。
どうしてそんなことをされたのかは、日向自身にも分からないという。だが「あいつは俺が嫌がるのを楽しんでるところあるから。痛めつけたかったんじゃねえの」との言葉に納得した。

理由が何であろうと、日向の身体に他の男が跡を残すなど、若島津には耐えられなかった。それが翼が噛んだ跡で、日向の耳元に残るのだと思うと尚更だった。日向も「翼にされたかと思うと気持ち悪い」と言うので、日向の許可を得て若島津が跡を付け直した。要は傷になったところを今度は若島津が噛んだのだ。

その傷はすぐに癒えたけれど、若島津が忘れたころになって日向が傷をつけてくれ、と言ってきた。同じ場所に、同じように、痛みを伴う傷を、と。
日向は、忘れたくないから、と言った。あの日、楽し気に自分を嘲笑っていた翼の顔を、あの悔しさを絶対に忘れたくないから、と。

それ以降も傷が癒えては、思い出したように日向が「噛んでくれ」と言ってくる。


若島津は立たせた日向の腰を引き寄せて、耳朶を挟んだ歯に力を込める。恐怖は与えないように、でも痛みは植え付けていくようにと、徐々に徐々に。

「・・ンン・・!・・いッ」
「しー。しずかに、ね・・」

プチリ、と薄い皮膚が破れる感触がして、若島津の舌にしょっぱい鉄の味が広がった。若島津の歯が日向の柔らかい耳朶を噛み裂いたのだ。

「・・はあっ・・んっ!・・・ふ」

自然に逃げようとする体を更に引き寄せる。腕の中に閉じ込めて、耳朶にぷくりと盛り上がった血を柔らかく吸って、舐め上げた。

「んふ・・ぁ・・ん」
「・・・日向さん。お願いだから、そんな声出さないで。あんた思春期の男子、舐めすぎでしょ。あんまり色っぽい声出したら、例え男でも襲うよ」

上気した頬に、痛みのために潤んだ目。そんな顔で悩ましい声を聞かされて、いつまでも理性を保っていられる自信は若島津には無い。

「なんだよ。男の声だぞ。気持ち悪いだけだろ、普通」
「・・・何だかなあ。結局あんたは、他人ほどには自分のことは分からないんだね」

はあ、と一つ長い溜息を零すと、若島津は今しがた自分が作ったばかりの日向の傷に、ちゅ、と優しいキスを与えた。







****





「あれ?」

日向はアーモンド型の切れ長の目を見開いたあと、パチパチと瞬きをした。


「日向さん、昨日は申し訳ありませんでしたっ!」

目の前には、腰を90度に曲げてお辞儀をし、謝罪の言葉を口にする香坂がいる。髪の毛がすっかり剃られ、後頭部が日焼けしていない肌を晒して、青々としていた。

放課後のサッカー部の練習に出た日向は、グラウンドに入ってすぐにイガグリ頭が一つ増えていることに気が付いた。昨日は確かにサラサラの前髪が顔を隠していた筈だが・・・。

「香坂?その頭・・・・」
「俺、甘えてました!自分だけが頑張っているような顔をして・・・恥ずかしいです。反省してます。すみませんでした! 俺、もう日向さんに見捨てられるなんて思いません!」

確か反町が三日間の猶予をやる、と言っていた筈だが・・・・昨日びーびーと泣いていた線の細い後輩は、一夜明けたら昔のタケシ顔負けの坊主頭になって、真っ赤な顔をして日向の前に立っていた。

「俺、何があっても、日向さんを追いかけていきますから!諦めませんから!今後ともよろしくお願いいたします!」

早口かつ大きな声で言い切ると、香坂は形のいい頭を堂々と上げて、颯爽とサブレギュラーの集合している場所へと走っていった。



「・・・何であいつ、もう立ち直ってんの? 随分と早くねえか?」

訳が分からず周りを見回した日向を、傍から若島津と反町がニヤニヤとして見ている。

「だあってえ。そりゃあ日向さんに『期待してる』なんて言われちゃったんだもん。それで奮起しなかったら、男じゃないでしょ」

ケラケラと反町が笑うのに、そんなものかと日向は思う。一方で、大空翼へのコンプレックスをどうしたって克服できそうもない自分の方が、よほど根が暗いのではないかとも。

「あいつ、意外に単純な奴だったんだな」
「言っちゃえば、やきもちだよね。日向さんがタケシタケシって、猫可愛がりするからさ。もう、日向さんってば罪作りなんだからっ」
「してねえし。その前に反町、その話し方やめろ」

からかってくる反町の頭を軽く小突く。それでも日向は悪い気はしなかった。イガグリ頭は触り心地がいいのだ。小学校時代、日向はタケシの頭を撫でるのが好きだった。それなのにタケシは東邦に入学してから髪の毛を伸ばし始めてしまい、実のところ日向は残念に思っていたのだ。
そこに新しいイガグリ頭がやってきたのだから、香坂が部に戻ってきたというその事実はさておいて、日向としては楽しみが増えたといっていい。
そう香坂に伝えたなら、本人は複雑な顔をするには違いなかったが。

「よかったね、日向さん」

若島津が日向の心情を知ってか知らずか、柔らかい笑みを浮かべて肩をポンと叩いてくる。日向は若島津の顔を見返して頷いた。単純な人間は強い。挫折を知った人間も強い。今後、香坂には期待してもいいのかもしれなかった。



グラウンドは既に一年生がボールやコーンを並べ終えていて、いつでも練習を始められる状態になっている。1年生も2年生もサブもレギュラーも、誰もが日向の方を向いて練習開始の号令がかかるのを待っていた。
日向はいつものように袖をまくり上げて、グルグルと肩を回す。

「・・・おーし、じゃあ、練習はじめっぞー!!」

日向が反町と若島津を従えてグラウンドの中央に向かえば、部員全員から一斉に威勢のいい返事が返る。


全中への予選となる都大会の開始まで、あと2週間。三杉の率いる武蔵を倒さない限り、全国大会への出場は無い。
大空翼とはまたタイプが違うが、三杉淳も間違いなく天賦の才の持ち主だった。その三杉が2年間のリハビリを終えて、今大会から復帰してくるという。都大会は対武蔵戦が事実上の決勝戦になるだろう。


日向は真新しい傷のある耳朶をギュッと摘まんだ。痛みに一瞬目を細めた後、やがてくる決戦の日を思い、不敵な笑みを浮かべた。







END

2015.10.13

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